新地町の文化財ご案内 -007/017page

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社    寺

   
名 称「子眉嶺神社」
所在地駒ヶ嶺字大作

概 要

 延喜式内名神大社である。延喜式神名帳には『宇多郡一座大子負名大神』と記さ れている。「子負嶺」がなぜ「子眉嶺」となったかについては諸説がある。

 神社由緒によると、大宝2年(702)に仮宮がつくられ、延喜7年(907)に創設されたと伝 えられている。祭神は「豊受比賣命(とようけひめのみこと)」である。

 由緒については、都の姫の悲恋にまつわる物語りのほか、幾つかの説が伝えられているが、 祭神についての伝説がすべて馬とかかわりをもっており、別称「奥之相善宮」として、馬体 安全、相善信仰の神社になっている。

 また、「片葉の芦」などの七不思議伝説がある。

   
名 称「今泉薬師堂」
所在地今泉字浜畑

概 要

 行方郡泉(原町市)に泉長者といわれる人がいて、繁栄していたが、悪党におそ われて没落し、承平年問(931〜938)に長者は守り本尊を背負って北に向い、新地の今泉に 落ちつき、堂を建てて守り本尊を安置したと伝えられている。

 福島県浜通りの、薬師如来12霊場となっている。

         
名 称「拈華山(ねんげざん)法輪寺」
所在地駒ヶ嶺字西久保

概 要

 法輪寺は、天正9年(1581)に黒木肥前守宗元が開基したと伝えられている。

 丸森の五峯山松音寺第6世菴賢貞大和尚が開山した。黒木守元は、志田郡師田(古川市) に移封になり、賢貞大和尚も示寂した後、衰微していった。宝永5年(1708)に、当時の駒 ヶ嶺城主の富塚長門が私財を投じて再建し、師山から端川寺2世天岩洞水大和尚を請じて中 興開山した。

 なお、本堂に祀られてある福禄寿は、浜3郡7福神霊場として知られている。また、薬師 如来は浜街道12薬師霊場の第11番となっている。

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