■小学校4学年社会科
単元名・単元のねらい 主な学習内容 博物館資料 資料活用の視点 3、きょうどを開く (1)御仕法による村おこし
・具体的な事例を調べることを通して、開発や復興に対する先人の工夫や努力を当時の生活や開発・復興にかける情熱と考え方、使った道具と技術などの面からとらえる。
また、寺代の様子や技術力は違っても生活向上は人々の共通の順いであり、その実現のために行われた事業の成果が今も生きづいていることに気づく。・天明のききん ・御仕法による村のたて直し
・土地のかいこん・つつみ、用水路をつくる
・御仕法と人々のくらし[e、天明の飢餓と村おこし] ・天明飢餓之図
・お救い小屋・相馬中村藩の年貢
・人□の移り変わり
・二宮尊徳坐像・富田高慶坐像
・御仕法を実施した村々・用水路地図
・御仕法の鍬・御仕法建ての家屋
・御仕法の成果・天明の飢饉は、天明3年(1783)から、天明6年(1786)まで続き、餓死・逃亡などにより、農村人口は激減し、円畑は荒れ果て、藩の年貢収入は減少するなど、存亡の危機を迎えたことに気づかせる。 ・飢餓ののちの農村立て直し、藩財政の確立のための方策の一つが、二宮尊徳(1787〜1856)の教えを実践する「御仕法」だったことをとらえさせる。
・二宮尊徳は、体験の積み重ねによって工夫された独自の農村復興策により、村や藩の財政難を克服した。これは、天保13年(1842)夏、尊徳56歳の肖像である。・二宮尊徳の高弟、富田高慶が尊徳の代理として、領内の御仕法実施を指導し、成功に導いた。この木彫は、中村出身の彫刻家佐藤朝山の作で、大正10年(1921)に完成。
・第28代相馬充胤が、困難を克服して、相馬に御仕法を実施させたことにもふれる。・御仕法の具体的な施策を、資料によってとらえさせる。
・村の働き者を投票で選び、褒美として鍬や鎌を与えた。・生活に困っている農民に、仕事への意欲をたかめるため、家屋の修理助成をした。家屋の新築は、573戸にもなった。
・御仕法の最大事業は人規模な水利事業で、旧相馬領内にある溜池の多くは、この時期に修理あるいは新築された。また、数多くの堤、用水路なども、新築・改
修され、現在も使用されていることに気づかせる。