博物館学習指導の手引き-012/098page

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■小学校6学年社会科(2)

単元名・単元のねらい 主な学習内容 博物館資料 資料活用の視点
(1)米づくりのむらから古墳のくにへ

・米づくりが始まったころの様子を遺跡や出土品、想像図から調べ、むらや社会の様子が人きく変わったことや、むらやくにが統一されていったことをとらえる。

・米づくりのむら

・集まって米づくりを始める

「c、稲穂への憧れ]

・米づくりの年(パネル)

・稲の来た道

・石庖丁による穂摘み(模型)

・木製農耕具

・鍬、鋤

・弥生上器

・籾圧痕のある土器

・桜井遺跡の出土品

・打製石器

・磨製石器

・石庖丁

・谷を拓いた水田(いわき市)

・竪穴式住居

・弥生土器

・壺と甕

・弥生土器と縄文土器
・紀元前3世紀項から、西口木に伝わった稲作は、関東、東」ヒに広がり、これまでの自然物の獲得に依存する生活が人きく変化したことに気づかせる。

・稲作は、水田に種をじかにまき、収穫は穂の部分だけを石庖丁で刈り取る方法で行われていた。

・弥生時代は、青銅器や鉄器が初めて製作・使用された時代で、鉄器は石器に比べると木の伐採や武器の威力など多くの'点で優れていたため、急速に全国各地に広がった。
また、木製農耕具の加工にも、鉄の刃物が威力を発揮したことをとらえさせる。

・桜井遺跡から、稲の収穫具である石包丁や籾痕のある:上群が児つかり、半地方でも稲作が行われていたことがわかる。

・弥生時代は、人々はむらをつくり、主に竪穴式住居で碁らし、稲作により食料を蓄えることが可能となり、高床式の倉庫がつくられたことなど、生活の変化に気づかせる。

・土器は主に食料の点、炊きに使われていたが、壷や甕のように貯蔵を目的とするものがつくられるようになったことにふれる。

・両土器を比較させ、その特徴をまとめさせ、変化に気づかせる。

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