■小学校6学年社会科(7)
単元名・単元のねらい 主な学習内容 博物館資料 資料活用の視点 (6)三人の武将と全国統一 ・織山信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人の武将の業績を中心に調べ、戦乱の世がしだいに統一されていった様子や外国との関係をとらえる。
・長篠合戦図をながめてみよう ・信長が統一をめざす
・秀吉が大名をしたがえる・家康が江戸幕府を開く
[d、武十の世へ] ・中世後期の群雄分布図
・「相馬の歴史」〔松木敬信著〕
・「原町市史」・戦国時代に奥州で羽振りをきかしたのは、伊達氏である。相馬氏と伊達氏の攻防は、相馬の運命をかけたもので、実に天文9年(1540)から天正18年(1590)まで、50年にわたって30余回にも及ぶ戦いを交えたことに気づかせる。 ・天正18年(1590)、石上村童生淵の戦で、伊達氏に敗れ、隆胤(義胤の弔中村城代)をはじめ多くの将士が戦死、宇多郡のうち駒ケ嶺以北9ケ村5,582石を失ったことにふれる。
・この敗戦で、相馬一族は死を決し、相馬の運命をかけて再戦をいどみ、領地の奪還をしょうとしたが、天正18年天下を統一した秀吉から「私闘厳禁の人号令」が下って、万事休止となったことに気づかせる。・天正18年(1590)、秀吉の小山原城征伐に参陣した相馬義胤は、秀吉より相馬領3郡48,700石を受けて帰国したことにふれる。
・慶長16年(1611)相馬利胤が、中村城を築き小高城より移る。・伊達氏に対抗する意味が濃かったこと、南部は父義胤が標葉郡泉田城を隠居所として固めたことにふれる。
・中村藩は、徳川家康から6万石と裁定され、260余年の歴史を築くことになったことを理解させる。