博物館学習指導の手引き-035/098page

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関連単元名:米づくりのむらから古墳のくにへ
展示コーナー:c:進化する人と馬
資料名:ヒトの進化、旧石器時代の石器 狩りの様子


ヒトの進化
ヒトの進化
ヒトは直立姿勢をし上顎切歯と犬歯の間に歯隙がない放物線上の歯列を持つことでサルと区別されている。アウストラロピテクス(猿人)は二本足で直立歩行し、複数の雄と雌からなる群れを構成し、主に果実や堅果・種子・地下茎などの植物類を採集し生活していた。ホモ・工レクトゥス(原人)は大型の脳を持ち、現代人に似た歯列で打製石器と火を使用していた。約10万年前にネアンデルタール人(旧人)が出現し、ヨーロッパに広く分布した。彼らは脳容積が大きく、死者の埋葬や祭祀に動物のいけにえを行っていた。
ホモ・サピエンス・サピエンス
ホモ・サピエンス・サピエンスは現代人を含む新人で35000〜38000年前に出現した。彼らは巨大な脳と進化型の道具を用い、地球上全ての地域で人口増加を続けている。


大陸からの移動
旧石器時代は地質年代の、新生代第四期更新世の中頃にあたる。更新世には4・5回の氷河期があり、氷河期と氷河期の間には間氷期といわれる温暖な時期が続いた。氷河期には日本列島と大陸は陸続きとなり、北からはマンモスやヘラジカ、南からはナウマン象やオオッノジカなどの大型哺乳動物が渡ってきた。これらの動物を追って人々は大陸から日本列島へ渡ってきたと考えられている。旧石器時代の人々は植物の採集や狩猟によって食糧を得ていたと考えられ、石を加工した道具(石器)を使用していた。石器には槍先に用いられた尖頭器(ポイント)、皮をなめすための掻器(エンドスクレイパー)、切るためのナイフ形石器、孔をあけるための錐、溝をほるための彫器、削器(サイドスクレイパー)などがある。原町市の橋本町a遺跡や畦原a遺跡はこの時代の遺跡である。

旧石器時代の石器石器の最初のものは円礫(河原石)を打ち欠いて刃の部分だけ作り出す「礫石器」であったが、加工技術の進展により礫全体を打ち欠いた「石核石器」へと変化していく。さらに打ち
欠いた時の剥片を加工した「剥片石器」が作られるようになり、石器の種類が多くなる。最終段階になると「細石器」という細石核から「細石刃」を剥離する技法が登場する。これは細石刃を量産できることに特徴がある。
細石器 細石刃

ナウマンゾウ
ナウマンゾウ
旧石器時代の日本を代表する大型哺乳類。化石の産出した地点数、産出数ともに圧倒的に多い。御雇外国人教師エドモンド・ナウマンに由来する。フォッサマグナを発見し命名したのも彼である。
オオツノジ力の仲間は巨大なツノをもつ大型のシ力類。ヨーロッパでは左右のッノの幅が3.5m、肩の高さ2mのシ力が発見されている。日本では熊石洞(岐阜県)で1.8m、伊佐(山□県)で1.6m。


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