博物館学習指導の手引き-038/098page

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関連単元名:米づくりのむらから古墳のくにへ
展示コーナー:c:稲穂への憧れ
資料名:稲の来た道、石庖丁、木製農耕具



稲は、インド北部のアッサム丘陵から中国の雲南高地にかけての要熱帯で、野生種から栽培種か作り出されたと考えられていまず。その後、稲は、中国大陸を経て、日本列島に伝わって来ました。
稲作の伝来
稲作の伝来
大陸から稲作が伝わると、人びとは、自然物の獲得に依存する生活から、米つくりを中心とした生活に変わり、食糧を計画的に生産し、たくわえもできるようになった。紀元前3世紀頃から・発達した大陸文明の影響をうけて、水稲耕作を基盤とする農耕生活が九州北部の地域で始まった。この新しい農耕生活は短期間のうちに西日本各地に広まり、さらに関東・東北地方にも広がり、これまで狩猟採集を中心としていた人々の生活が大きく変化した。弥生時代は、このように食糧生産を中心とする時代で、また青銅器や鉄器が初めて製作、使用された時代である。稲作は水田に種をじかにまき、収穫は穂の部分だけを石庖丁で刈り取る方法でおこなわれていた。農作業には、さまざまな木製農耕貝が用いられたが、これらの加工には、稲作とともに伝わった鍬の刃物が威力を発揮した。農耕具の種類には鋤や鍬など耕作用のものや石庖丁などの収穫貝、臼や杵などの脱穀用のものがある。

木製農耕具(模造)
木製農耕具(模造)
仙台市中在家南遺跡原資料仙台市教育委員会蔵

石庖丁
石庖丁
原町市桜井遺跡福島県立博物館蔵

石庖丁による穂摘み
石庖丁による穂摘み


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