関連単元名:米づくりのむらから古墳のくにへ
展示コーナー:c:豪族と古墳
資料名:桜井古墳
桜井古墳農耕社会が成立し、富を蓄積した有力者は、やがて地域を支配する豪族に成長した。豪族は、権力の大きさを、古墳という大きな墓を築くことによって、誇示した。3世紀後半から7世紀前半にかけて地域の支配者となった豪族は、農民を耕地の開発や、古墳(土を盛り上げた大きな墓=高塚古墳)の築造などに従事させた。古墳の築造には多くの労働力と技術が必要で、古墳はこれらを支配管理する首長の出現を意味している。桜井古墳(桜井古墳群上渋佐1号墳)は、原町市上渋佐(新田川南側の河岸段丘)に所在し、全長74.5メートルで東北地方を代表する前方後方墳である。築造年代は古墳の特徴から4世紀中頃と推定される。桜井古墳は当時この地方を支配した豪族の権力の大きさを示している。
空から見た桜井古墳(南から)
桜井古墳復元想像図
発掘された古墳時代の住居跡 高見町a遺跡
竪穴住居復元模型(高見町a遺跡)
平成5年に発掘調査した竪穴住居跡を1/10で復元しました。床には柱を立てた穴や火を焚いた炉があります。出土した土器から古墳時代前期(4世紀)の住居跡と思われます。