博物館学習指導の手引き-048/098page

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関連単元名:武士の文化と民衆の成長
展示コーナー:d:武士の世へ
資料名:中世の主要城館図、牛越城模型

中世の主要城館
中世、相馬氏の一族や家臣たちは領内の館に住み、相馬氏に従いながら近隣の村を支配した。南北朝時代から戦国時代にかけての城郭は、丘陵・山地を利用した山城であり、平地の屋敷には塁や濠をめぐらせたように防備・戦闘を考慮した構造をしている。現在の原町市にあった城館は、太田別所館(原町市太田)・牛越館(原町市牛越)・泉の館(原町市泉)・明神の館(原町市大甕)・江井の館(原町市江井)などがある。

中世の主要城館図 中世の主要城館図

太田別所館跡(現在の太田神社) 太田別所館跡(現在の太田神社)

牛越城
原町市牛越字城下・館下にあった城館。15世紀中頃は牛越定綱の居城だったといわれる。その定綱が文安2年(1445)、当時の相馬氏当主相馬高胤に対し謀反を起こしたため、高胤によって滅ばされてからは城番人が置かれていた。慶長2年(1597)相馬氏第16代当主の義胤は、この地に新たに城を築き居城と定め、小高城から移り住んだ。しかし牛越城移住後、親族の死や慶長7年(1602)に領地没収となるなど、不幸な出来事が続いたため、牛越城は不吉の城とされ、慶長8年(1603)には再び小高城へ居住を移すこととなった。城の東南には最近まで町場・鉄砲町などの地名があり、義胤はこの牛越に城下町の形成を目指していたことが想定される。現在も本丸・二の丸・三の丸・空堀・帯曲輪・腰曲輪・妙見館などの遺構を残しており、当時の牛越城の様子を垣間見ることができる。

牛越城模型 牛越城模型
牛越城の図 牛越城の図


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