博物館学習指導の手引き-049/098page

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関連単元名:武士の文化と民衆の成長
展示コーナー:d:武士の世へ
資料名:中世の信仰、寺院や供養塔


中世の主な寺院と神社・磨崖仏 中世の主な寺院と神社・磨崖仏

中世の信仰
源頼朝による奥州合戦と、その後の武士団の移住・開発は、この地方にも武士の文化的要素が広まる契機となった。また、南北朝・室町・戦国期と移り変わる中で、人々の往来が繁く、また地方の領主武士などが寺院・神社を建立し、神社信仰や鎌倉新仏教もこの時期に広く庶民の間に広まった。神社信仰では、妙見・熊野・八幡・稲荷・諏訪信仰などが土着の神々信仰と結びついて広まったいった。中世後半には神社信仰とともに修験として木山派(京都聖護院に属す)上之坊寛徳寺、羽黒派(出羽の羽黒山を中心とする)日光院(現在の日光寺)の勢力が強く、近世まで続いた。寺院は、もともと天台・真言の二宗で、のち他宗へかわる寺院もあったが、真言宗寺院は現在でも多くある。曹洞宗は15世紀末より広まり、相馬家の帰依も受けている。浄土宗は15世紀初頭より伝えられた。またこの時期の信仰のあり方を示す供養塔として、寛元2年(1304)銘のものがある。

中世供養塔 中世供養塔

木造十一面観音立像 複製 木造十一面観音立像 複製
原町市泉の観音堂の本尊として安置されている。泉地区は行方軍衙跡と推定される。「泉廃寺跡遺跡」があり、また泉長者伝説がある地区である。象高160.6cmの彫眼、寄木造で、内側に弘安6年(1283)銘のある鎌倉時代後期の作である。県指定文化財


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