博物館学習指導の手引き-053/098page

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関連単元名:徳川家光と江戸幕府
展示コーナー:e:中ノ郷と原の町宿
資料名:大名の領域略図中村藩行政組織図


大名領域略図正徳5年(1715)
大名領域略図正徳5年(1715)

大名の領域略図

相馬領の周辺には、江戸時代を通じて北に伊達家(城下仙台62万石)の領域があった。そのほか江戸時代前期の正徳5年(1715)当時、北から松平忠尚(城ド桑折2万石)、松平義方(城下梁川3万石)、板倉重寛(城下福島3万石)、丹羽秀延(城下二本松10万石)、秋田頼季(城下守山2万石)、内藤義桐(城下平7万石)等の大名領と川俣などの幕府領(代官支配)があった。しかし、ほかの地域では領地替えなどにより領主が変わったり、一部幕府領となったりしたが、相馬領は変わらなかった。

相馬中村藩の行政組織図
相馬中村藩の行政組織と軍事編成
相馬中村藩の行政組織と軍事編成
中村城下には、藩内の行政・裁判を行う会所が置かれ、会所一郷一村(郡代一代官一肝入)の支配体制が確立していた。また、各郷には陣屋が置かれ、そこで代官支配が行われた。村には肝入の下に、村長・百石頭がおかれ、肝入を補佐した。
軍事に際しては、侍大将以下各役職があり、それも編成されていた。


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