博物館学習指導の手引き-055/098page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

関連単元名:移り変わる社会
展示コーナー:e:中ノ郷と原の町宿
資料名:原の町宿絵図、原の町宿想定模型商家の店頭


原の町宿は、中村城下から浜街道を南に向かい、鹿島につづく二番目の宿場町で、野馬追原の北に位置する。南北に長さ五町八反(約632m)、幅が五間(約9m)の街道沿いに家が建ち並び、町境となる道の両端には木戸が設けられ道の中央に水路が掘られていた。町の南には野馬追原から野馬が逃げないように野馬土手があった。町の西には中ノ郷の陣屋、街道の中央に触れなどを知らせる高札場があり、郷支配の中心地でもあった。一般的に宿場町は、次の宿場町までの人馬による通信業務を行うところ、参勤交代の大名などの公用宿泊休憩施設、さらに一般民衆の宿泊する旅籠屋などの施設があり、交通の要所であった。ただし、原の町宿のばあい、そればかりでなく、年一回の野馬追の時(だいたい五月中の申日)、各家とも藩主をはじめ家臣たちの宿陣となり(藩主の宿陣先を「本陣」という)、その入口には各々を示す陣幕が張られた。そして江戸時代後期には野馬追見物のため、多くの行楽客が訪れており、賑わっている町の様子が当時の絵巻にも描かれている(「奥州相馬氏馬狩図」)。

奥州相馬氏馬狩図
(1巻絵本墨絵館蔵安永/0年(1718)風雛写)
作者や原本については不明。原の町での宿陣の様子や野馬追、野馬掛の様子を生き生きと描いており、当時の民衆の風俗がわかる。

一尺口約一一.○.三p
六尺-一間六間-一反
一町-一〇反日六〇間
一里-三六町(約三.九q)


原の町宿絵図慶応四戊辰三月五日写
原の町宿絵図慶応四戊辰三月五日写 舘岡敏美氏蔵
江戸時代の地誌『奥相志』によると、「南北に長さ五町八反、幅五間。中央に南北の堀有り。南の町端に市門有り、左右を編む。高堤を築き野馬を防ぐ。上に並杉有り。中村より当駅に至る四里廿三町七反。北鹿島より一里廿七町一反、南小高に至る二里十四町八反。人家百十一戸」とある。


原の町宿の想定復元模型
原の町宿の想定復元模型
幕末19世紀中頃の原の町宿の模型。町の中央の掘割、高札場、右手奥に中ノ郷陣屋の建物なとの景観を示している。


商家の店頭
商家の店頭
幕末ころ、原の町宿で商家を営んでいた天野屋・順天堂の店先を想定復元したもの。看板の一徳丸は、この店の専売薬。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は野馬追の里 原町市立博物館に帰属します。
野馬追の里 原町市立博物館の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。