博物館学習指導の手引き-056/098page

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関連単元名:明治の新しい世の中
展示コーナー:f:御一新の時代
資料名:浜通り戊辰戦争跡と戦死者士族申付状


戊辰戦争の戦争跡
戊辰戦争の戦争跡
浜通り地方では、慶応4年(1868)6月16日に官軍が平潟港に上陸し、7月13日には平城が落城する。中村藩軍は6月から7月にかけて棚倉・川内、磐城・四倉・津島へ、原町から大堀へ出陣した。7月23日から28日にかけて広野・熊町などの中村藩南境付近で苦戦を強いられた中村藩軍は8月4日帰順降伏を提出し6日に許可され、中村藩は官軍の占領下に置かれる。8月7日には官軍側として戦いをすることになり、列藩同盟の盟主仙台藩と、伊達と相馬の藩境での一進一退の攻防戦が行われた。

陣羽織と軍砲
戊辰戦争で官軍と戦う時に着用した陣羽織と、降伏後官軍として仙台藩と戦った時に着用した軍服。同一人物が着用したもので、軍服が収められていた箱には、旗巻峠で仙台藩との苦戦の様子が記されている。

脇本善明氏蔵 脇本善明氏蔵
 大和田光俊氏蔵 大和田光俊氏蔵

士族申付状 士族申付状
明治維新後、武士階級だったものに与えられた身分で、華族の下で平民の上に位置し戸籍に記されてはいたが法律上の特典はなかった。1明治時代は士族の指導する社会であったが、大正・昭和になると士族意識も薄れたが、戸籍上には残り、昭和22年(1947)の日本国憲法の施行にともなって士族の名称は戸籍上から消えた。
佐藤愛子氏蔵
佐藤愛子氏蔵

土着者名簿・田畑反別代金渡状
中村藩では城下の家中と呼ばれた武士を新しい生業につかせるため農地を有償で与え、土着地の借入金は分納を許すという帰農土着の方法をとる。場所はそれぞれ抽選で決まり、宇多郷・127戸、北郷45戸、中ノ郷136戸、小高郷83戸、北標葉郷21戸、南標葉郷34戸、山中郷3戸の計449戸が土着した。しかし田地・居宅の交換が自由だったため実際の土着数はかなり動いている。

星孝悦氏蔵 星孝悦氏蔵


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