関連単元名:長く続いた戦争
展示コーナー:f:戦争への道
資料名:国防婦人会、配給品購入台帳衣料切符
戦争下の暮らし
戦時下体制の生活は「銃後の守り」として隣組や国防婦人会などの組織を通して食料の配給や強制的な貯蓄など様々な統制がとられた。大日本国防婦人会は、国家奉仕を綱領とし、軍人援護・防空訓練・廃品回収などを行う軍事援護団体である。原町では昭和14年(1939)7月18日最初の防空訓練が、原町署主催で駅通り太乃助公園(現・旭公園)で5000人余の観衆の前で行われた。空襲に対する心構えや爆撃後の応急処置、警防団などについての認識を深めた。
足袋と型紙
泉区防空訓練の様子
本土にも米軍による空襲が迫り、大日本国防婦人会高平村分会泉でも消火訓練・防空演習が行われた。
配給制度
配給制は戦争の拡大とともに衣料などの日用品を統制するために実施された。日中戦争開始と同時に物資統制の一環として始められた繊維製品に対する統制は戦争の拡大とともに強化され、昭和17年(1942)2月1日から一人一年間に100点(郡部は80点)が配給され、その点数製による衣料切符によって配給を受ける。点数内でしか衣料を購入できない仕組みである。戦争の激化により統制品目は拡大され、逆に点数は減らされたうえ、現物はほとんど配給されないという状態となった。
[衣料切符の点数]
選択購入切符 衣料の種類 点数 背広・モーニング 50 国民服・学生服上下 32 婦人ワンピース 25 防空服・敷ふとん 24 毛布 18 ワイシャツ 12 モンペ 10 パンツ 4 手ぬぐい 3 くっした 2 ぬい糸(10匁まで) 1
衣料切符
選択購入切符
配給品目購入台帳
昭和16年(1941)6月から21年(1946)7月までの配給品購入控えで、シャツ・手ぬぐい・作業用軍手・地下足袋・釘・鎌・マッチ・カンヅメ・塩引・カマボコ・メリケン粉・煙草・果樹類などの生活用品のほとんどが配給されていたことがわかる。