博物館資料
「桜井古墳」を生かした授業例
1.単元名 6年「目木の歴史」「米づくりのむらから古墳のくにへ」
2.小単元の目標
(1)人々の生活や社会の様子の急激な変化に関心をもち、その青果を調べたり、米づくりの発達の様子や国土の統一の様子を調べたりしょうとする。
(2)田の広がりやむらの様子の変化から、米づくりと人々の生活や社会の変化の関連について考えることができる。
(3)絵画資料や写真資料を比較し、その違いを指摘したり、遺品や出十品などから当時の人々の生活の様子を想像したりすることができる。
(4)米づくりの技術や大陸からの文化の広がりが人々の生活や社会に変化をもたらし、やがて大和朝廷により国上が統一されていったことを理解する。
3.指導計画(総時数7時間)
(1)どんな違いが見られるかな……1時間
(2)集まって米づくりを始める……1時間
(3)各地で王がくにを治める……1時間
(4)人きな基をつくる……1時間(本時)
(5)土たちがまとまる……1時間
(6)大陸文化が伝わる……1時間
(7)使える土器をつくろう……1時間
4.本時のねらい
豪族がほうむられた古墳の様子から、豪族の力の大きさや社会の変化の様子を理解させる。
5.博物館資料について
○桜井古墳について
3世紀後半から7世紀後半にかけて地域の支配者となった豪族は、農民を耕地の開発や、古墳の築造などに従事させた。古埴の築造には多くの労働力と技術が必要で、古墳はこれらを支配管理する首長の出現を意味する。
桜井古墳は原町市上渋佐(新田川南側の河岸段丘)に所在し、全長74.5メートルで東北地方を代表する前方後方墳である。築造年代は古墳の特徴から4世紀末から5世紀前半頃と推定される。保存状態や、規模の人きさから、昭和31年に国の史跡として指定された。桜井古墳の実測図や空から見た桜井古地の写真などの資料を提示することで、その人きさを実感することができ、半時にこの地方を支配した豪族の権力の人きさを容易に想像することができる。さらに、これだけのものをつくるための技術・労働力についても考えさせることができる。
○福,島県と古城県南部の古墳の分布と人きさの地図資料柵島県全体と古城県南部の古墳の分布が人きなパネルとなっており、一目で見渡せるようになっている。この地域に多くの豪族が集中して存在していたことも理解させることができる。また、この地域の主な古地の大きさを比較する図もあわせて掲載されているため、桜井古墳がこの地域でも3番目に人きいこと、100メートルを超す桜井古墳をはるかにしのぐ古墳をつくった、仙人な権力を誇った豪族がいたことも理解させることができる。