大悲山大蛇物語 - 067/075page
た狭くなった。ために明日より七日七晩大雨を降らして小高郷一帯を大沼と化し、我ら夫婦が棲む事にしたと語っている。
この若侍の回顧談を肯定(こうてい)するが如き伝説が、前出した楢葉館下の箱の内で、名木「一つ実椿(みつばき)」にからんで詔られている。内容は、むかし館の姫様が、他所の館の若殿に恋慕したが、適わぬ恋に邪恋を断とうと仲禅寺へ参詣した際、沼畔で若殿に会い、一気に恋情が爆発し、無中で若殿に飛びつき沼に転がり落ちて無理心中した。邪恋の無理心中とあって、死体は別々に葬むられた。そして姫の墓所には塚を築き、その上に椿を墓印として植えたら、やがて成長して数多く稔(み)のる総(すべ)ての殻(から)には、決まって実が一粒だけ納まっている。この不思議な現象に人々は、「これは恋慕(こいした)う若殿と別々に葬むられたため、姫はあの世に行っても、未だに一人で若殿を恋焦(こ)がれているんだ。可愛そうに…」と云い、村人は姫の菩提を供養し、そのご冥福(めいふく)を祈って来たと云う。
(*注) 七、八年前、その場所に花卉(かき)ハウスを建てる事になり、目通り径三十センチ余の名木「一つ実椿」は、他に移植されたが、惜しくも枯れ、跡地は均(なら)されて塚もなくなってしまった。
(三)、女人に権現して現われた観音菩薩
若侍が玉都に秘密を打ち明けて姿を消したその後に、香(かんば)しい芳香をたなびかせた若い女人が近寄り、気品のあるおごそかな声で、玉都に、仏の大慈大悲を説き、人間の踏み行うべき人倫の道を諭(さと)している。玉都はこの女人を観音様と感じて翻(はん)心したという。
また、大蛇物語の舞台となった大悲山磨崖仏群(まがいぶつぐん)は、総じて大悲山薬師と呼ばれ、薬師様が主尊と信じられている。それなのに物語に出て来るのは観音様である。それは元の地名大悲山(観音の聖地)が示すように、奥の院の賢劫(けんこう)仏を配した後窟(あと)観音が主尊で、この地に観音浄土世界を象顕した事により大悲山と称し、更にそれを強く演出するため、前窟(まえ)の中央に釈迦(しゃか)(像容が似ているので後世薬師と誤った?)その両脇に弥勒(みろく)、その左右隣りに観音、両端に弥(み)