大悲山大蛇物語 - 069/075page

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だが主役の玉都坊は決行の日が近づくにつれ、悶(もん)々として心休まらない。堤を決壊して憎い相馬氏を滅ぼせば、自分は立身出世するが、自分を旧領主として慕う多くの領民が、堀内城水没の犠牲となって溺死する。例え命は助かったとしても、住む家は流され、耕やす田畑は泥土と化し、それに破られた堤には水がない。作付の出来ない百姓らはどうして暮らすのだろうと、考えは千々(ちぢ)に乱れ、右するか左するかと思い悩むのだった。

 かくする間にも決行の日となった。心定まらぬ玉都は、この上は神仏に縫(すが)る外はないと思い、当夜大悲山薬師堂に参籠(さんろう)し、一心にお経を唱えると、いつか無我の境地に落ちて心の葛藤(かっとう)が静まり、人間として、白分の進むべき道を悟り、小高郷民のため身を捨てる覚悟をしたのだった。

 その頃は既に闇(やみ)が降り、堤破壊作業に選ばれた将兵らは、弓矢に代えて鋤(すき)や鍬(くわ)を持った軽装で、続々と参集して来て、先着の玉都坊に声を掛け、それぞれが分担した己が任務の準備に取りかかった。小高郷民を水害から守ろうと決心した玉都坊は、彼等の隙(すき)を見て薬師堂を脱出し、一目散に光胤公のいる堀内城へと走った。

 一方襲撃隊士らは、準備を整え最後の打ち合わせをしようとしたら、肝心の玉都坊がいない。その辺りを探したがいない「さては怖(お)じ気て逃亡したのでは」と、諸方に探索の兵を派遣した。その一隊が、密告を終え、堀内城から出てくる玉都坊を見つけ、これを待ち伏せ、橋の上で「裏切り者」として惨殺した。

 また玉都坊の注進によって一大事を知った光胤公は、急遽(きょ)武装した兵士を召集し、自ら大将となって薬師堂を急襲した。不意を討たれた作業隊士らは、隠密(おんみつ)作業とあって兵数も少なく、それに戦闘武具にも欠けていたであろうから、殲滅(せんめつ)的打撃を受けて敗走した。その際に作業隊長が「この恨みは三年内に必ず晴らしてやる」と叫んで討ち死による。この武士は物語に出て来る標葉松王であったろうか。

 一説には騒動の場を、王朝方に内通していたともいわれる、相馬一族大悲川朝胤公の住す大悲山館とも云い、敗れた朝胤公は生き埋めにされたとも伝えられている。また物語では大蛇の耳が耳谷に、歯は女場、角が角部内に落ちた


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