大悲山大蛇物語 - 071/075page
属して相争(あいあらそ)う。この地方でも標葉・相馬の両氏は、それぞれの派に分かれて合戦に明け暮れる。その様な中で生じた重大事件を素材にしたのが、原作者不明の古記“大悲山大蛇記”と云いよう。そしてこの物語が編纂(へんさん)された頃は、当地方は相馬公の治政下にあり、原作者はその辺りに気配りし、相馬公の敵を大蛇に化身させ、我身に代えて小高郷民の難儀を未然に防止した、旧領主と思われる玉都を、盲日の琵琶(びわ)法師として登場させている。また後で後村上天皇となる義良親王の御坐と伝える村上城は表面に出て来ないが、その周辺の村に、大蛇の耳、歯、角が落ちたという。それは大悲山氏らと共に王政に心を寄せる反宗家の人々を、光胤公が続いて帰討した事を匂(にお)わしている。
その一方では玉都を、相馬公が弁才天祠に奉祀、及び琵琶橋にその趣を止めるなど意を配る。
この事は新領主となって間のない相馬氏が、領民から信望されていたという旧領主を、形祀化することによって、領民の心理を把握(はあく)する必須事項であり、その効果が大きかったろう。
また二〜三か月後に光胤公の討ち死にを予言する「この恨み……」はと、大蛇の呪詛(じゅそ)を最後に載せている。原作者としては大変な男気を要した事だろう等々。
大蛇伝説は単に光胤公が、仇(あだ)なす大蛇を退治した如くなっているが、その中に秘められた裏面を穿(うが)ち、原作者が大蛇伝説で何を語ろうとしているのか、その意図を斟酌(しんしゃく)して読むとなお面白い。
浪江町酒田 佐 藤 俊 一
日本石仏協会員・福島県民俗学会員