自然観察ガイドブック 五十人山の自然 -002/032page

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せるまでに回復してきている。登山者は、春のやわ らかな陽射しを受けて、心地好い汗を浮かべながら、 新緑の中を山頂部へと向かい、このツツジの群落と スズランの花を楽しむことになる。

 山開き当日山頂では、葛尾村と都路村の主催によ り、「ミスすずらん」1名と「準ミスすずらん」2 名が選ばれる。以前は登山者の投票で選ばれたこと もあったが、現在は7人の審査員がこの任に当って いる。また、この3名をモデルにして撮影会が開か れ、フォト・コンテストも後日開催されている。

牧 場
牧 場 

 山頂部はなだらかでバレーボールができるほど平 坦部が広く、青年会の若い人達を中心に、いろいろ なゲームが計画されており、山開きの日一日を楽し く過ごせるようになっている。

 このような山頂部の特徴から、遠い昔、坂上田村 麻呂が都からはるばる遠征して来たおりに、50人の 武将を山頂に集めて軍議を開いたので「五十人山」 と呼ばれるようになったという、ロマンに満ちた伝 説が生まれたと考えられる。また、都から持ってき た木彫りの馬が姿を変えて、苦戦していた田村麻呂 軍を勝利へと導いたとの言い伝えもあり、現在この 時の馬が西隣りの田村郡三春町に木彫りの三春駒と して伝えられている。

 馬に関しては、双葉郡の北に位置する相馬郡に、 古くから「野馬追い」の祭事が伝えられており、阿 武隈山地一帯には広く野生の馬が生息していたこと が推察され、これも田村麻呂の伝説が生まれる一つ の要因になっていたのではないだろうか。

 当地域の主要産業はやはり農業であるが、第一次 産業についている人の割合は、年々減少傾向にある。 耕地面積では、水田が第一位となっているが、粗生 産額では主として牛・豚による畜産に占める割合が 高くなっている。馬とのかかわりでは、江戸時代に 三春駒葛尾産名馬を産した記録があり、現在もアラ ブ競争馬を生産しているところもある。


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