大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-007/055page

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 更に七丁程入った道ばたのけやきの大木に、いつの頃誰の手で彫られたかわからないが、観音菩薩(かんのんぼさつ)の像が生木に浮き彫りにされ、里人は観音けやきと呼んで、お詔(まい)りしては第三の憩いの場ときめていました。

更に三丁ばかり坂道をのぼった山峡(やまあい)に、いつの頃か胴を採掘した坑道(こうどう)があり、夏でも坑内は涼しく、冬は暖いのでいつもこうもりが住みついていて胴の沢と呼ばれ、第四の憩いの場となりました。

胴の沢からつまさき登りに渓流に沿って七丁ばかりいった谷間(たにあい)に、ひっそりと静まりかえった小さな池があって、不思議なことに、池のほとりにある栗(くり)の大木は、枝が全部ダラリと垂れさがり、くる年もくる年も沢山の実をつけましたので、里人は万蔵が池の垂れ栗と呼んでいました。

また池には白泥鰌(しろどじょう)が住み、池畔には片葉の葦が密生し、附近を跳びかう烏(からす)は白烏ばかりでしたので、里人は長沢の滝、観音欅、胴屋の古坑(ふるあな)などとあわせて、長沢の七不思議と呼んでいました。

長沢の滝についてこんな事がいわれてきました。「むかしなあ、滝つぼの近くの丘の上にそれはそれはふるい大きな杉の木があってなあ、酒つくりの名人が、この木で樽(たる)をつくって、酒をつくったら日本一の酒が出来るだろうと思っただと。そしてなあ、七人の木挽(こびき)をつれてきて、七日のあいだ挽(ひ)いたが、挽いても挽いても倒れなくてなあ、木挽たちは、おっかなくなって七日目の


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