大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-011/055page
大変な物識(ものし)りで、病人があればすぐに飛んで行き、看病したり、田植えや稲刈りで忙がしい時などは、里の子ども達を集めては読み書きを教えたり、一緒になって遊んだりしてくれましたので、子どもたちはもとより里人たちは満開坊、満開坊となれ親しんでいました。
いくら里人が素性(すじょう)や生いたちを尋ねても、
「俺かい、愚坊(ぐぼう)はなあ、西方浄土(さいほうじょうど)の、カビラ城というお城のほとりの生まれだよ。」と、にこにこ笑っていましたので、里の人々は、
「たぶん標葉のお殿様の満開の古城(おしろ)に係(かかわ)りのあるお坊さんではないだろうか。」などと話しあっていました。その頃、諏訪(すわ)の神社(みや)の西に、一本の桑の木の大木がありました。
ある日、満開坊は、里の人達に集まってもらい、「坊(ぼう)はこのたび生きながら入寂(にゅうじゃく)しようと思う。ついては、今生(こんじょう)の喜捨(きしゃ)として、新しい棺(かん)をつくって桑の大木の根もとにおいてくれ。そして坊が入棺(にゅうかん)したらすぐ釘(くぎ)で蓋(ふた)をうちつけ、、上から土をかけてくれ。
坊は棺の中でお経を読んでいるから、お経の声がきこえなくなったら息を引きとったと思ってもらいたい。」と頼みました。
里人たちは満開坊のたのみのまゝに新しい棺をつくり、桑の大木の根方(ねかた)に大きな穴を掘って運