大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-015/055page
熊野(ぐまの)の駅を置いたのもこの附近だったろうと云われています。
封建(ほうけん)時代になってからも、関門が設けられ熊川宿(くまがわしゅく)、または熊駅とよばれていました。
むかし。
この附近に勤勉な老夫婦がすんでいました。夫婦のあいだにはなぜか子どもが生まれませんでしたので、齢老いても野良仕事(のらしごと)にはげんでいました。
野山の若葉が日増しに緑(みどり)をまして田植えも間近い五月のある日の事でした。
老夫婦は朝早くから野良に出て二人仲良く荒代(あらしろ)かきをしていました。お爺(じい)さんがマンガを押し、お婆(ばあ)さんは泥田(どろた)の中をころびながら泥まみれになって馬の鼻どりをしていましたが、お婆さんが急に腹痛(はらいた)をおこして仕事どころではありません。
「お爺さんや、ちょっと家に行って横になって、なおったらすぐくるからまっておくれよ。」
「いいとも、いいともゆっくりなおしてきな。」というのでお婆さんはたんぼからあがりました。独りのこされたお爺さんは、一人で代掻(しろか)きもできずに途方にくれて、たんぼに腰をおろしたまゝ、ボンヤリと雲間(くもま)を裂(さ)くような不如帰(ほととぎす)の声に耳をかたむけていました。
「お爺さん、困っているんだろう。僕が手伝ってあげるよ。」いつの間(ま)に、どこから来たので