大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-026/055page

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 「田村麻呂の兵隊が、鹿が峯をたって長沢を登り万蔵が池で休んでなあ、あと一息で日隠山につくというところで、何かに驚ろいた田村麻呂の馬が脚を踏みはずして、あれよあれよという間(ま)に、熊笹の崖(がけ)を滑(すべ)りおちて、ヒヒンと悲しげに一声嘶(いなな)いたきり死んでしまっただそうな。」

「あんたは板付観音に行ってみたこがあるかい。―あれはなあ田村麻呂の馬が死んでから、馬を引いてあそこを通ると、遥かな谷底から悲しげな馬の嘶(いなな)きが聞えて来て、引き馬が吸いこまれるように崖から転び落ちて死ぬもんでなあ、みんなで話しあって観世音をまつって馬達の霊を祈ったのだと。……」

里人たちに板付観音(いたつきかんのん)と呼ばれて来たこの観音は、今も標高五〇〇米を越す山頂の小径(こみち)のかたわら一丈余の切り立った自然の岩石(いし)に、「馬頭観世音供養塔」の八文字が刻まれ、こけむした碑面の右上部に大同元年……、左に十一月吉……。の文字が幾星霜(いくせいそう)の風雨にたえて通(かよ)う人もまれな旧会津街道に鎮座し、山上からこんこんと湧き出(で)る参詣清水(さんけいしみず)は絶えることがありません。

「今は無くなったが、もとは参詣清水のてまい桜窪(さくらくぼ)の一の鳥居があっただよ。」
古老はこう付け加えました。


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