大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-028/055page
女の子は、うれしそうに、なんべんもおじぎをして、いそいそと帰って行きました。
約束の夜がきました。その晩は、宵(よい)のうちからシトシトと雨が降るまっくらな晩でした。次郎太は蓑(みの)・笠(かさ)をつけてただ一人、たい松も持たずに、手さぐるように蛇ばみが淵に急ぎました。
次郎太が着いた時にはもう戦いが始まっていました。
淵には、ドウドウと波が逆かまき、水柱(みずはしら)が立ちのぼり、雨(あめ)あしが激しくなったかと思うまもなく、ドシャ降りの中から雷の音すらしてきました。
ピカッ!ピカッ!。あたりを照らす稲妻(いなづま)の中に、上になり下になり死力を尽して戦っている大鰻と水蜘蛛の白い姿と黒い姿とがもつれあって浮かびます。
今だ!と思った次郎太は、必死の声をふりしぼって、「俺(おれ)……、」「俺らあ……」と叫ぼうとしましたが、口がパクパクするばかりで声になりません。
頭(かみ)の髪(け)はあまりの恐ろしさに一本一本さかだち、体は全身とりはだ立って、ふるえがとまりません。
無我夢中(むがむちゅう)で地面をはうようにしてのがれ出た次郎太は、我が家の軒下(のきした)にたどりつくなり気を失ってしまいました。
夜がしらじらと明けはじめる頃、夜来の雨もおさまって、藁屋根(わらやね)にしみた雨だれがポトリ、ポトリと軒(のき)をうっていました。