大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-035/055page
ある日のこと夕方になって宮渡の阿弥陀堂にたどりついた久四郎は、堂宇が傾き、屋根はたれおちて雨もりのしどいのに驚ろきながら参詣してふと堂の奥をのぞきますと、顔容端厳な身のたけ小児程の白木の阿弥陀如来の御尊像を拝しましたので信心の深い久四郎はあまりの勿体なさに涙を流しましたが、それからのち御尊像が心からはなれず、行商にでかけるたびに立ち寄って参詣するのを楽しみにしていました。
こんなある日のこと久四郎は、堂守の老夫婦のもとにたちよって御本尊の由来をたずねますと、
「私達夫婦は、すこしばかりの水田を耕作していたが、五月の農季になり、代(しろ)かきしようと近所から馬をかり、老妻が鼻取り、私がマンガ押しを始めたが、馬が荒れまわって静めることができないでこまっていたところ、どこの子どもか判らない八、九才位の子どもが来てな、老妻に声をかけたゞよ。―お婆さん、私がはなどりのお手伝いをしてあげましょう。―ってな。
泥田にはいってお婆さんからはなざおをうけとって一日中手伝ってくれ夕方になったので、夕食の支度をして食べさせようとしたところ、どこにも姿が見当らないんだよ。仕方がないので夕べの仏参(ぶっさん)に阿弥陀堂に行ったところお堂の階段に子どもの泥足の跡がついていて、堂の内側まで続いているのでおかしいと思って御本尊をおがんだところ、お膝から下が泥まみれになったまゝ蓮台の上にお立ちになっていてな、御光(ごこう)が二本だけちぎれておちていただよ。