大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-036/055page
二人でな、あゝ今日たんぼではなどり手伝いをしてくれた子どもは、この阿弥陀如来様のお身替りだと判ってな、勿体ない勿体ないとお唱名をとなえて拝んだが、それからあと、はなどりの如来様と申上げるようになったんだよ。
この話をきいて、それ程の如来様を荒れ果てた堂内におくのは勿体ないと考えた久四郎は老夫婦に歎願してゆずりうけ、大和久の我が家の仏間に安置して朝な夕なに礼拝し信仰しました。
幾月かたって、久四郎は例のとおり川内村に行商に出掛けました。ところがどうした事か村は上を下への大騒ぎで商いどころではありません。久四郎は恐る恐る人だかりの群にちかづいて人のよさそうなおじいさんに、「何かあっただかね。」と聞きました。
おじいさんは久四郎の顔をみて、あゝいつも来る商(あきな)いさんか。と気易げに話しました。『近頃の事だがよ、里中でこっちにもあっちにも火事がおこるし、疫病が次から次へと出るもんでなあ、なにかのたゝりだんべというので里中の神様や仏様においのりしたところ、お告(つ)げがあってなあ、「もともと川内村には鼻どり如来様がおわしてこまった者を救ってくれ、家内の安全をおまもりしてくれたのに、あまりお粗末(そまつ)にするもんで村からお姿を消したからだ。」という事で、草の根を分けても八方探し出して取り戻そうてんでな今大評議の最中だよ。』この話にびっくりした久四郎はとるものもとりあえず家にとび帰り、御尊像を真っ黒に塗り替え、裏山に岩穴(いわや)を掘って安