大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-038/055page
ある日のこと、和尚は磐城小良浜に出かけ、酒の馳走をうけて帰路につきましたが、その頃の道は相馬小良浜の南はずれの坂をのぼりつめたところから海よりの笠松、太刀洗(たちあらい)を通って小熊田に通じていました。
笠松は大変立派な枝ぶりの良い大松で、その枝は附近の水田の中ばまで達していました。附近の安保原(あぼはら)地蔵も、土地の人たちの真仰のまとでありましたし、笠松の根方にある太刀洗いの井戸にはむかし、仇討ちに諸国をまわった侍が対面場で敵と出合い、しゅびよく仇を討ったあと、この井戸で血刀を洗ったなどと語り伝えられていました。
又笠松の附近にはなぜか左巻きのツブが住んでいて、たべると腹痛(はらいた)がおきると云われていました。
ちどり足で笠松にたどりついた円澄和尚は、打ち寄せる波間に映る月影と、千鳥の声にじっとたゝずんで考えこみましたが、やがて、
小夜(さよ)ふけて千鳥なくなり笠松の
磯辺(いそべ)によする波の月影と口ずさむなりスタスタと歩きだしました。こののち何故か笠松は精気をうしなって、だんだんと枯れてあとかたもなくなりました。