大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-045/055page

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 《第二十話》

  玉の湯発見物語

むかし。

南信濃(みなみしなの)の諏訪郡(すわごおり)や伊那谷(いなだに)に勢力をふるっていた諏訪刑部大輔頼重(すわぎょうぶだゆうよりしげ)という豪族がおりました。

諏訪湖のほとりに上原・桑原という二つのお城を築いて根拠地としていましたが、天文十一年七月、隣国の武田信玄に攻められ、一族の金刺家や、諏訪頼継らも信玄に内応しましたので、とうとう城が陥って頼重は甲府に送られたうえ東光寺というお寺で、

   おのづから枯れ果てにけり草の葉の
    主あらばこそまたも結ばめ

という辞世をのこして切腹しました。まだ二十七才の若さでした。

頼重の妻称々(ねね)は当時十五才でしたが、頼重との間に天文十一年四月四日に生まれたばかりの寅王(とらおう)という男の子がありました。

称(ねね)々は信玄の妹でしたので、夫頼重が切腹したあとも武田家に引きとられていましたが、翌(よく)十二年に病死して薄幸な一生を終りました。寅王は千代宮と名をかえて母の死後も武田家で養育さ


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