大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-049/055page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

を玉の湯山、院号を金剛院、寺号を信常寺、坊号を玉林房とつけたら良いでしょう、と厚く礼をのべて立ち去りました。

玉の湯は、伊達青葉(あおば)の湯と共に浜通りの名湯として、相馬藩主一族代々會遊の地として栄え、鹿ヶ峯の断崖には当時の廃坑が静かにねむり、里の人は代々「男鹿山に金が出る」と云いつたえて来ました。

諏訪大明神は享保十二年(一七二七)に金剛院別当昌鏡等の努力によって現在地に移されたと伝えられています。

 

 《第二十一話》

  切れる斧

むかし。

夫沢に大変正直(しょうじき)で働き者のお百姓(ひゃくしょう)さんがすんでいました。

ところが働いても働いてもなかなか裕福(ふく)しくなりません。とうとう家屋(いえ)は傾き、柱は朽(く)ちはて


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は大熊町に帰属します。
大熊町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。