大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-052/055page

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けていたのに、お殿様が出来てこのかたここらが国境(くにざかい)だろうというので、小川を一応の境としたのですから、小川の水が海にそゝぐこの浜がどちら側(がわ)のものかに両方の生活がかかっているのです。

それにこのところ長い戦(いく)さが続いて、両国の境が小川を越してはるかに南に移ったり、もとにかえったり、更に北に移ったりするのですからこまりものです。

くる日もくる日も、「俺が浜だ。」「いや俺が浜だ。」と争いを繰(く)り返しているうちに、この一帯の里を、だれ云うともなく"俺が浜"と云うようになり、いつか"小良浜"と呼ぷようになりました。

やがて長いあいだ続いた戦(たたかい)が終りました。相馬のお殿様と、岩城のお殿様が、お互いに国境(くにざかい)をはっきりきめようというので小菅(こすげ)が原(はら)で会いました。

そして、境川から小良が浜の中間(ちゅうかん)を流れる小川の線を国境ときめ、小良が浜の人達が自由に便利に生活できるようにと、おたがいの里を両国の入会地(いりあいち)にきめました。

こうして、相馬小良浜・岩城小良浜の二つの村ができました。


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