大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-054/055page
《第二十四話》
悲風平道地原
慶応四年、この年は九月八日に明治と改元されて明治元年となりました。
この年の七月二十八日黎明(れいめい)、棚倉藩領上手岡(ちゅうか)村平道地原から富岡川をはさんだ赤木村にかけて突如銃声が湧きおこり、刻一刻と激しくなってゆきます。
やがて浜街道宵(よい)の森(もり)台場・新田町にかけて銃砲声が拡がり、小良浜方面も戦火にまきこまれたようです。
山の手から西願寺境内の宵の森台場までが、相馬藩の担当、浜街道から東、小良浜迄を仙台藩の持場と分けて配置ついていたのですが、朝来西軍(官軍)諸隊の一斉(いっせい)攻撃によって相馬藩南境の斗い、俗にいう熊駅関門の戦斗が始まったのです。
午後二時頃になって、本道方面はすでに敵軍に突破されたのでしょう。銃砲声がだんだん北にうつり、やがて熊駅方面から黒煙が立ち昇りました。
平道地原一帯も、もう乱戦となり藩兵は大川原に向って敗走に移りました。
半谷新助の属している木幡小隊も、もう潰乱(かいらん)状態に陥っていました。