大熊町民話シリーズ第2号 民話 野がみの里 - 030/056page

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 《第十四話》

  吉田と吉田と (野上)

野上には吉田を名のる人がたくさんおります。

今から約四三〇年前、天文十七年(一五四八)相馬の殿様のかわいいお姫さまが三春の殿様にお嫁入りすることになりました。その時、相馬領の古道と葛尾(かつろう)と南津島と岩井沢をお姫さまの化粧料(けしょうりょう)としてあげたのでした。家来の中には相馬の国が恋しくて相馬の国にもどって来た人もありました。その時岩井沢という所から野上に移って来て吉田を名のったのでした。この人たちは士(さむらい)として殿様につかえましたが、ふだんは百姓をして米作りをしていました。これを在郷給人(ざいごうきゅうじん)といいました。この人たちは士でしたので士の下に口、吉田と書きました。士でない人たちは土を相手とする百姓でしたので土の下に口、吉と書きました。

しかし今の当用漢字には吉の字しか残っておりません。

津島にはコンノという姓が多いのですが、相馬のコンノはイマコンといって今野と書きます。田村(三春)にいったコノノはイトコンといって紺野と書いて区別しました。

三春にいったお姫様はその後、年をとってから相馬にもどり、津島の川に身を投じて死んだと


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