大熊町民話シリーズ第2号 民話 野がみの里 - 053/056page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

て手伝ってくれました。するとふしぎに馬はおとなしくなって仕事がどんどんはかどります。この男の子が地蔵さまだったのです。みんなははなどり地蔵さんといって親しんでいました。

そのうち如来寺は熊川の遍照寺(へんしょうじ)に合併(がっぺい)され地蔵さまの姿も見えなくなりました。

今、地蔵前という地名だけが残っています。

 

 《話二十八話》

  だきつき石 (大川原)

むかし。

八幡太郎義家が陸奥(むつ)の国の敵を討つために大川原を通りました。字坂下の絶壁を通らなければなりません。道も悪く、橋もありませんでした。

時あたかも春のはじめ、日隠山(ひがくれやま)の雪が解けて水は川にあふれていました。川巾は広くはないが、向う岸が高いので、しばらくじっと石の上に馬をとどめていました。

やっところあいをみて無事向う側につき、兵を北へと進めました。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は大熊町に帰属します。
大熊町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。