大熊町民話シリーズ第3号 民話 野上川 - 013/024page

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ているのでお互何か職業を身につけて助け合うことにしました。酒屋、醤油屋、油屋、かじや、馬のくら屋、す屋、畳屋その他色々の仕事を分担しました。二代三代となるうち他部落からもたのまれるようになりました。

士たちは田畑をつくり、蚕をおき、馬もたくさんおいて子馬を売りました。それでみんな裕福になりました。殿様もほめてくれました。「大川原は土地も悪く田畑も少いのに裕福に暮している。蚕をおき馬を養ってよく働くからだ。他の模範である」と。

しかし困ることがありました。それは毎年腸チフスがはやり何人かが死に、何人も病気に苦しむのです。
オシンメサマにおがんでもらったら「やく病神はエザリ(腰がたたない人)でどこへも行けないんだ」と。どうしたらいいかと聞いたら、「やく病神を背負ってどこかへおいてこい」と。

村の若者か二人患者の家に行ってやく病神を背負うしぐさをしてごちそうを持って隣村の十字路に行ってやく病神を下すしぐさをしごちそうを前において、若者は草々に家に帰って来ました。ヤレヤレ来年はと思うとまた厄病が出ました。村人にとっては処置なしの状態でした。

これを見ていた士の石田藤兵衛は何とかこの村から災害をなくして平和な村にしたいものと色々のことをしましたが効果がありません。その中藤兵衛は病にかかり回復の望みがないと思うと


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