大熊町民話シリーズ第3号 民話 野上川 - 015/024page
物をつけて通ったのです。中通りの米を遠くに運ぶには港から船で運ぶことになっていました。
当時百姓は年貢米として少くとも六割は殿様に出すことになっていました。残った米は大切な食糧です。しかし米を売ってお金をつくるのが一番楽なのです。少しでも高く米を売ろうという人は中通りまででかけました。持てるだけもって日隠山の道を急ぎます。ところが一番けわしい所に山賊が待っています。「おい百姓、その米をおいてゆけ、さもなければたたき斬って沢へころがすぞ」
百姓たちは驚いて米を出して逃げます。山賊は人は追いかけません。また熊川は魚の宝庫でした。寒流暖流のぶつかる所、沖からたくさんの魚がとれますが食う人が少ないので日隠山を越えて中通りに行きました。魚は新鮮が第一、夜中に山道を越えて魚を売りその日の中に帰って来ました。魚屋には山賊は出ませんでした。
河北新報(昭和五十六年九月八日)
山と水の伝説(二四)から転載ある日河北新報の記者が私許を訪れ「山と水の伝説」として「野上の里」の「金谷長者」をの