川内村民俗芸能のしおり -030/041page

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として用いられている。

 由来と沿革・・・西山獅子のほほかけの下り藤の定紋については、正徳元年(一七一一)八月十五日 飯野八幡祭礼の折奉納して、御領主平城主内藤能登守より「天下一」の御直筆とこの家紋の面布を 用いることを許されたと伝えている。

 領主巡視の時は西山獅子一番、上川内二番、町獅子三番というように順序が定まっていたが、諏訪神杜 が坂シ内にあるので地元の町獅子を先にやらせてはというので争いが起こり、 与力・名主・長福寺などが仲介して、享保十九年(一七三四)役所に訴え出たことなども 記録されている。その和解条件として次の記録が残っている。

御祭礼の節西山町獅子先後の事
 鎮守御神前庭 町獅子真先に舞
 警固の庭は 西山獅子真先に舞
 村役場は 町獅子先に舞
 菩提所は 西山獅子先に舞
    右之通往古より舞来候事

 この獅子舞は延宝か元禄のごく初期に、西山の百野に来住した吉田久次の伝授に始まる。西山に記録は 残っていないが、久次の居住地であっただけに伝授の直系が伝わっているものと思われる。


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