ならはの絵馬−村人の祈り−-014/036page

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鈴木宇吉奮戦開門図
22.鈴木宇吉奮戦開門図 明治31年(1898)      上小塙 木戸八幡神社(目録15)
 奉納者の鈴木宇吉は、明治28年日清戦争に参加した。台湾において激戦中、単身敵城に侵入して開門し抜群の功績をおさめ たとして金鵄勲章を授与した。その記念に奉納したものである。

町内の絵馬に見られる主な絵師

鈴木寿山(1838−1918)絵馬NO20・21
 天保9年日光今市(栃木県)の星家に生まれる。本名を寿三郎、寿山と号した。日光山で絵画奉行を務めたが戊辰戦争 の際、棚倉方面への道を誤り渡辺村(いわき市)にたどり着き、同村田部の鈴木家に婿養子に入り画業につとめる。明 治15年第1回内国勧業博覧会に、明治17年第2回内国絵画共進会に本県から出品して入選する。明治初期の本県著名の日 本画家。大正7年81才で没す。

高荒芳州(1854−1930)絵馬NO17
 安改元年伊達郡飯野村に生まれる。谷文晁派の流れをくむ画家、晩年九州別府の自心萃に師事してから厳華の号を用い たとされる。早川儀平(現上小塙故早川信夫家先祖)とは親交があり、たびたび同家を訪れ一ケ月ぐらい宿泊しては絵 を描いたという。町内の旧家には芳州の措いた掛け軸が数多く残されている。晩年は茨城県多賀郡松原町で75才で没す。

東雲 絵馬NO2・15
 木戸八幡神社の「文化4年神功皇后三韓征伐図」と立石不動尊堂の「文化10年山姥図」の二点残されているが、県内の 絵馬・絵画調査報告書によると東雲については絵馬は、国見町に養蚕図では県内一古いと言われる「文久3年養蚕図」と、 矢祭町の「年不明高砂図」の二点あるのみで、詳細については不明である。

 そのほか乙次郎地区の霧ケ滝不動尊堂には海山楽一による3つの絵馬が奉納されている。この不動尊堂は明治37年3月 に「竜頭山霧ケ滝勤王不動館講社」を創立していて、ときの御嶽教大講義担任教師の鯨岡次輔の雅号が楽海で見られる ことから、同一人物と思われる。大正時代にみられる□斎・逢州はいずれも不明である。昭和時代の幸月・幸太郎は同 一人物で、井出浜の青木幸太郎のことで趣味で描いたという。後他県へ移る。また松本茂雄は上小塙生まれで肖像画を 得意とした人。


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