ならはの絵馬−村人の祈り−-016/036page

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6.願 か け

 深刻な悩みを神仏にたのみ、その成就のためなら好物を断つ・お百度参りをするといった一定の行為を するほかに、直接神仏に悩みを託すという手早い手段が絵馬の願かけである。

母子図
25.母子図 慶応2年(1866)        下小塙 広徳院観音堂 (目録1)
 針箱を横に母親の背に甘える幼児を愛しいように見る母親と、でんでん太鼓をあやすような素振りをする兄らしい幼児を描 く。願主の徳女は上小塙の早川家の先祖で、子に恵まれなっかたので子授け祈願として奉納した。この後、絵馬の祈願が成就 して目出焼く嫡男が誕生したという。

7.句額

 江戸時代後期になると、地方文化が高まり、和歌や俳句を楽しむ村人が急速に増えた。情報交換、学芸 の場であった神社で自分たちの作品を公表し奉納した。

句額
26.句額 明治27年(1894)        上小塙 木戸八幡神社(目録20)
 出題された兼題に旬を付けて競う、季語を人れない遊戯的な俳譜が江戸中期の柄井川柳によって流行した。川柳の名称で一 般化したのは明治になってからである。近隣の村から集まり、五十句を詠まれた。


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