ならはの絵馬−村人の祈り−-018/036page
8.算 額
中国から伝わり日本で確立した数学を和算といい、その研究家たちを和算家と呼んだ。江戸中期頃『新 編塵却記』という算書に解答のない問題が提出され、これに答えることが行われ、和算家たちは難問が解 けた記念に神社に額を掲げる習慣が始まった。
28.算額 明治27年(1894年) 北田 北田神社(目録17)
奉納者は和算家関根熊吉である。安政元年(1854)富岡小良浜に生まれ、幼少より算数を好み22歳で岐阜県大垣馬場留吉に 入門し和算を学ぶ。32歳のとき船引の最上流和算家佐久間績に入門。39歳で両目を失明するが勉学を続け、40歳のとき最上流 初伝を許される。この時奉納した。
この算額は「相馬和算研究保存会(昭和45年創立)」の皆さんが昭和59年に復元して奉納したもの。
29.算額 明治27年(1894) 北田 北田神社(目録18)
松本伊八と矢内喜一郎の二人は関根熊吉の門下生と思われ、師の最上流初伝の許しを得たとき記念に奉納したと思われる。 松本伊八(前原浜ノ城)は明治期に木戸村助役・収入役を勤めた人。