わたしたちの郷土楢葉町 楢葉町小学校社会科教師用資料 - 032/110page
3 漁 業
明治から大正そして昭和にかけて、一丁櫓の小型船が太平洋の荒波を蹴って沖合いに出て漁業を営んだ。大正に入ってからは8丁櫓・12丁櫓の大型船が建造されるようになった。大正4年に12丁櫓の船が進水して浜は活気に湧き、鰹の一本釣りで大漁旗を押し立てて水揚げした。一丁櫓は角網漁法を用いて、さば・ふぐ・くろがら・あいなめ・かすぺ・さが・あかい・せりなど、いろいろな種類の魚をとった。
採った魚は「いさば」という魚商人(うおあきない)が買いとって、背負籠(しょいかご)に入れて木戸竜田のまちを売り歩いた。鰹は鰹節にも加工したという。
当時一丁櫓の船は波倉浜に10艘程、井出浜に20艘程、山田浜にも20艘程あったらしい。
昭和20年代は「ほっき貝」がよくとれた。
昭和36年になって浜はさびれて波倉・井出浜から船の姿が消え、昭和38年には山田浜も終りをつげた。
然し、木戸川・井出川の育てる漁業である鮭漁が盛んになり、ふ化場は近代的な設備になり前途に大きな期待がもたれるようになった。
(1) 井出川漁業協同組合※1
@ 所在地 楢葉町下井出 TEL2874 (渡辺孟夫組合長宅4360)
A 組合員数 26人
B 年度別ふ化放流数と採捕親鮭数
年度 ふ化放流数 採捕数 備 考 めす おす 計 昭44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
55 ―
48,000
60,000
120,000
130,000
255,000
296,000
251,000
229,000
182,000
1,213,000
1,373,000
1,326,000 ―
10
20
30
39
75
110
118
75
37
175
568
295 ―
8
10
18
20
99
138
159
201
139
389
926
432 ―
18
30
48
59
174
248
277
276
176
564
1,494
727
ふ化場新設250万粒
※1 井出川漁協 H14年〜 木戸川漁協