わたしたちの郷土楢葉町 楢葉町小学校社会科教師用資料 - 085/110page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

 内藤氏6代の藩主は、平藩の確立を図るとともに各村々の新田開発、産業の振興、社寺の再建修復、など文化の振興にも尽した。楢葉郡の旧村も内藤氏支配の時代に新田開発や用水路・溜池の築造、改修が行われた。

 幕領支配の時代にも名代官が就任している。領内にバレイショの栽培を普及して薯代官と言われた梁川・小名浜代官の中村清太夫(天明年間1781〜1788)、農村復興の実績で知られる桑折・塙代官の寺西封元(たかもと)(重次郎ともいう、寛政年間1789〜文化年間1817)、天保の飢饉の折幕命を待たずに郷倉を開き農民を救った浅川・桑折・小名浜代官の島田帯刀(天保年間1830〜嘉永年間1853)が知られている。

 中世・近世に於いて楢葉地方を開いた支配者を挙げたが、村々は名主・庄屋など村方役人で村の自治が維持されてきた。

 明治維新後の村々も目まぐるしく変遷するが、明治10年代の県会議員に松本伝四郎(前原1期6年)、松本伝(伝四郎の子、9期17.6年)、橋本英馬(北田5期7.2年)らが当選し県政や村政の確立に大きな実績を残した。
大正時代には小松幹夫(井出1期4年)が県会議員に当選し、昭和22年4月から昭和26年4月まで石川浅次郎(山田岡)も当選している。

 明治22年4月町村制施行以降、昭和31年9月楢葉町誕生まで、木戸村長22名、竜田村長21名が就任し楢葉町の基礎を築いた。

(松本松寿)


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は楢葉町教育委員会に帰属します。
楢葉町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。