わたしたちの郷土楢葉町 楢葉町小学校社会科教師用資料 - 095/110page
7 清之神社のいわれ
前原の田園が拓けているど真中にお宮があります。清之神社と呼びますが、部落では「天王(てんのん)さま」と言っております。
その昔、この地方に疫病が流行し、大勢の人が次から次と死んでいくので、病気から守って頂くため、この神社をお祭りしたという。御神体は「木の燃えきじり」で正体が解らないそうで、これは火事にあった為なそうです。(関本幸男・前原)
8 木戸川の流れの移り変り
木戸川はむかし金剛川といわれたそうです。
この川の流れは宝暦年間からの調べですと、5回にわたり流れが変わったという。その範囲は北田境から南は矢内亨さんの家までであるとのこと。
そして、田中内地内に「百万遍供養塔」が建っているが、これは洪水で亡くなった人や鮭漁中などで事故死した人たちの霊を供養する為建てたということです。
(関本幸男・前原)
9 王塚という地名の由来
井出字所布に玉塚という所があります。
むかし、戦に敗れた将兵が追われ追われてこの地まで落ちのびてきました。そしてここに土着したということです。
ところが、この敗軍のなかに一人の将軍がまじっていました。この人は一国の王さまのような偉いお方でした。
この敗軍の将兵は、長い間の逃亡生活に疲れ、殆んどの者が亡くなりました。そして、この身分の高いお方も遂にこの地に果てたのでした。
後に、部落の人たちはこの人の墓に塚を立てゝ霊を追悼しました。このことから、この地が王塚と呼ばれるようになったということです。
(横田キン・松館)