わたしたちの郷土楢葉町 楢葉町小学校社会科教師用資料 - 102/110page
厄年の人のいる家では餅を重ね餅にして供える。これを年重ね餅といった。厄年男は25・42・60歳、女は19・33歳。
また、のし餅をひし形に切っていろりの鍵、鍬の柄、窯場、マンガ(農具)臼につける。
夕方、柿の木など成(なり)樹木(果実のなる木)を「なんネか なっか なんネか切っちまぞ なり申す なり申す」と叫びながら鉈のみねで叩き、そこに餅をつける木まじないをする。(廃絶)
夜は鳥小屋がある。鳥小屋は11日の農始めの頃から、子供達が中心になって部落ごとに、竹、笹、わらで1間四方位の小屋を大人も手伝って作る。子供達の正月の遊び場で、お札をつくり部落の各戸に配り、お賽銭、餅、甘酒を貰って食べたり飲んだりして遊ぶ。そして14日の夜鳥小屋を燃やす。部落の人達は、鳥小屋に出て来て、竹の先に餅を刺し焼いて食べる。無病息災、風邪をひかないといわれている。各部落で競って作りどっちが早く燃えるか、また相手の小屋を隠れて燃やしてしまうなどにも興味があった。
鳥小屋は害鳥追いの呪(まじな)いとされている。
○ 十五日 正月送り
早朝神棚にお茶と小豆粥を供えた後、神棚や室内の正月飾りを取り外して、「ホーイ ホーイ」と叫びながら氏神さまに納める。おたて申すとも言う。
この日は嫁婿は餅を持って実家に里帰りする。
15日で正月の主な行事は終る。
○ 十六日
地獄の釜の蓋もあくといわれて休みの日となる。特に婦人の神事といって体を休める日である。
○ 十七日 お茶たて 羽子板の祝
子供が生れて始めてこの日を迎える家ではお茶たての行事がある。嫁や婿の実家、兄弟、伯・叔父母は暮市に買った羽子板又は軸物を贈る。この日は羽子板を贈ってくれた方達を招待してご馳走を振舞う。(一部で復活)招待された家では餅を持って訪問する。料理は正月料理に準ずるがあんこ餅を振舞う。餅の半分を返す習もあった。
○ 二十日 二十日正月 恵比須講(えびすこう)
夜神棚に恵比須、大黒天の人形を祭り、料理のほかご飯は大盛りにして供える。ご飯に添える箸はわらでつくる。お金と生きた鮒2匹も供える。家によっては小豆ご飯を供えた。特に商家や鍜治屋は盛大にお祝いした。