広野町勢要覧 -012/031page
時代とともに生きる神仏 楢葉八幡神社は五里八幡とも称し、古く康平年間に源頼義が勅を奉じ、奥州の安倍貞任・宗任征伐の時、通行する街道筋に鎌倉の鶴岡八幡宮を起点として五里毎に石清水八幡宮を勧請し一社を建立し、戦勝を祈請したことによります。 福島県に入って、いわき市植田に植田八幡を、五里隔てて平に、更に五里を経てこの広野に八幡宮を建立され、樽葉の総社故に樽葉八幡宮と呼ばれたということです。
楢葉八幡神社は五里八幡とも称し、古く康平年間に源頼義が勅を奉じ、奥州の安倍貞任・宗任征伐の時、通行する街道筋に鎌倉の鶴岡八幡宮を起点として五里毎に石清水八幡宮を勧請し一社を建立し、戦勝を祈請したことによります。 福島県に入って、いわき市植田に植田八幡を、五里隔てて平に、更に五里を経てこの広野に八幡宮を建立され、樽葉の総社故に樽葉八幡宮と呼ばれたということです。