広野町勢要覧 -014/031page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

法壺山東禅寺

折木字高萩には、法壺山東禅寺があります。開山は文明元年(1469年) と伝えており、縁起の『法壺山東禅寺古記』 によると、開山徳翁上泉和尚がこの地の阿弥陀堂で十 七日間の坐禅観法を行い、満願の日の明け方に阿弥陀如来が 瑠璃の壷を捧げて「これ仏法の法壷、この地に寺を立つべし」 との夢想があり、醒めると法壷が傍らにあったので益々信心 を深くし、なお十日の坐禅を続けたということです。

木造阿弥陀如来座像

知機山徃生院成徳寺は、元徳2年(1330年)松峯山如来寺(いわき市平山崎) の開山高蓮社良山妙観上人の弟子である真蓮社良天聖観上人によって閉山されたということ です。 成徳寺に内仏として安置されている「木造阿弥陀如来 座像」は鎌倉三工の一人である湛慶作といわれ、元禄3年(1690年)に鎌倉の順宗法師か ら寄贈されたものです。昭和28年に県重要文化財の指定を受けています。また、「岩城三 十三所観音霊場」札所三十一番の別当寺でもあります。

地蔵さまの石像は広野でも数多く見られ、そのひとつひとつに地蔵さまにまつわる 話が伝承され、町民に信仰されています。
平安末期頃に地蔵信仰は広まったと言 われ、月の二十四日を縁日として、地蔵尊を心に念じその名号を唱え、西方浄土へ極楽 往生を祈願するものです。夕筋の「鼻取り地蔵」は、地蔵さまが子どもの姿に変じ鼻取 りをし、田植え作業に苦しむ農夫を助けたという伝承で、子どもの身代りに地蔵さまが なるという子安信仰の一形態と考えられます。
また、下北迫の地蔵さまは天明4年(1784 年)から8年にかけて、東北の各地を襲った大凶作と洪水では、この広野の地においても、 多くの人々が飢饉や疫病により亡くなりました。下北迫に祀られているお地蔵さま(延 命地蔵尊)は、天明の飢饉の七きに亡くなられた多くの人々の供養のためにと、林蔵寺 十七世教蓮社良宣上人のお勧めで、夕筋・所木・浅見川・上北迫・下北追など、楢葉郡 内十力村の人達によって天明8年に造立されたものです。
この地蔵さまは、もともと旧広 野に祀られておりましたが、一時、林蔵寺にお還しされたことがありましたが、林蔵寺 に選られて暫くして、旧広野の町は大火に遭いました。町の人々は「これは、地蔵さま をお遷ししたからだ」と言って、再び元の所へお帰り頂くようお願いしました。
林蔵寺 にお遷ししたときにはなかなか動かなかった地蔵さまをお載せした台車も、お帰りにな られるときには楽に動きましたし、お地蔵さまも「にこにこ」と喜んだお顔をされてお られたといわれています。

下北迫の地蔵さま

 下北追の地蔵さまには、子育ての祈願や、亡くなった子供の冥 福を祈る親達が多くお参りに来ます。また、「イポ」で困ってい る人も、お地蔵さまの台座前に置かれた小石を持って帰り、「イ ボ」をさすると治るといわれていることから、「イポ取り地蔵」 さまとも呼ばれています。昔は、長雨が続き不作が心配されるよ うになると、お地裁さまの前に、近在のお年寄り達が集まって、 「天道念仏」の数珠繰りをして雨止みの祈願をしました。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は広野町に帰属します。
広野町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。