須賀川市立博物館図録 俳諧摺 上 -077/113page

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14 梅室追悼摺

師翁梅室名は素信初雪雄亦素芯と云号
方円齋加賀金沢之産京に登芭蕉堂蘭更
之門に入られて
 都にも加茂川ありて夜寒かな
大坂にも住是迄之年表未詳文政五壬午
年江戸に下る日本橋桧物町に住翌年之
春発会
 わか庵の蓬文字(ほうらい)なれやうめ柳
其後神田豊島町に在て附合集成 叉木挽
町にも住上槇町に移られて寒松庵と呼
 影あらき松をしくれの舎(やど)りかな
天保五甲午年池魚の難に逢て古郷へ
帰る此間江戸に在住する事十有三年
同十己亥年四月粟津義仲寺に登り
祖翁百五十遠忌引上け会式を勤る
 旅のころもの袖(そで)狭けれは
 海山の夏をもかりて手向かな
夫(それ)よりふたゝひ京に出東洞院四条に住
増補発句集上梓(し)有
同十四葵卯年十月義仲寺に正当忌営
 降らすともけふそ時雨のあめか下
  梅花正風園の扁額(へんがく)は不佞武江(ふれいぶこう)を退
  去するより故ありて他方にある事十
  年なりこたひ祖翁の遠忌に当りて
  為山に譲り梅之本の道場を保護せ
  しむる事になりぬ
 わするゝな芭蕉の株の雪覆
  こは予に授与せらるゝものなり
東洞院仏光寺上る処(ところ)に転居す
   病中の吟
 一雫(しずく)けふの命そきくの露
これを絶筆として嘉永五壬子年十月
朔日(ついたち)行年八十四にて卒す
  前後二十年の間遂にふたゝひ面会の
  願ひもはたさす老師梅室の訃音に
  驚き断腸のおもひ止まらすいまは
  記念となりける梅花正風園の扁額
  に対し香を捻(ひね)り拙(つたな)き一句を手向侍(はべ)る
むせひては木からし抱くおもひかな
              梅之本為山  
敬 白

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