吉田冨三記念館だよりNo.6号 -006/016page

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ポストゲノム時代の「癌学」を求めて
―癌病理学の原点と再訪― (吉田富三博士の現代的意義)

樋野 興夫

癌研・実験病理部・部長  樋野 興夫 

1 はじめに

 この度、癌研・所長の北川知行先生の推薦により、日本癌学会において、大変権威のある「吉田富三記念館だより」の執筆の機会が与えられましたことは、若輩ものとしてまことに光栄に思います。そもそも、私は吉田富三博士には直接、逢ったことのない世代であります(1954年生まれであり、医学部を1979年に卒業している)。しかし、吉田富三博士は、私が部長をさせて頂いている癌研・実験病理部[1973年創立され、初代は高山昭三先生(のちの国立がんセンター所長)2代目は石川隆俊先生(のちの東大病理学教授)である]の創始者であり、また最近、いろいろと国立がんセンターの名誉総長の杉村隆先生から吉田富三博士のエピソードを聞かせて頂き、目には見えない形で吉田富三博士からは大きな感化を受けていると自分では思っている。それは、あたかも札幌農学校の2期生であった新渡戸稲造と内村鑑三がクラーク博士(8ケ月のみの日本滞在で前年に帰国)からは直接教えを受けていないにもかかわらず、一期生を通して間接的に大きな教化を受け、のちの2人の人生に大きな影響を与えたのと同じ心境である。本稿では、吉田富三博士の学びを通して、「癌哲学」 への道を述べたく思います。

2 2002年の日本病理学会の宿題報告に備えて

 おりしも、私は2002年春の日本病理学会の「宿題報告」に指名された。日本病理学会の「宿題報告」とは本来は大変な名誉なことであるが、現在の「地盤沈下と閉塞感」のただよう日本病理学会には正直いって複雑な思いがある。私は 「21世紀における病理学の復権」を密かに夢みるものである。 まずは私は原点に戻って「静思」の時と思い、吉田富三博士の原典に学ぶ決心をした。今回、吉田直哉氏を通して、中城民夫氏(形成社・社長)を紹介され相談した所、大変貴重な宝の如くである「吉田富三医学論文集全3巻」、「癌の発生」、「吉田肉腫」、さらに山極勝三郎の「胃癌発生論」と「佐々木隆興先生論文集」を在庫および御自分のものまでもわざわざ提供して頂くことになった。中城民夫氏の御好意は、忘れることのない大いなる感謝であります。私は背すじを伸ばし、決意を新たにした次第である。私は真剣勝負の気持ちで「癌学」にさらに精進したく思います。

3 吉田肉腫の細胞起源の同定をふりかえって―ゲノム時代への端り―

 私は”2hitt”で知られ「癌の遺伝学の父」と呼ばれているKnudson博士の下での勉学を終え、実験病理部の部長として1991年8月アメリカのPhiladelphia(Fox Chase Cancer)から帰国した。私は自分の本来のprojectである「肝発癌と腎発癌」 の研究の体制を整えながら、一方で癌研・化学療法センター所長である菅野晴夫先生(当時、研究所・所長)より1993年は、吉田肉腫発見(1943年)50周年であることをうかがっていた。そこで私は、50周年記念事業は実験病理部の責務と思い、我々は吉田肉腫(YS細胞)と変異株(LY細胞)の表現型の差を規定する因子(遺伝子型)を見つけようと発現差のある遺伝子群単離・同定を試みた。驚いたことに、吉田肉腫はT細胞由来であり、LY細胞は上皮細胞由来であることが判明した(Jpn.J.Cancer.Res 85‥1099|1104,1994)。もともと別の由来である。ここに吉田肉腫発見5


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