吉田冨三記念館だよりNo.6号 -007/016page
0年目にして、細胞起源が決着された。最近のDNAチップによるCancer Genome Anatomy の端りであったと癌病理学者としてさりげない自負の念がある。これが私の学問上の吉田富三博士との最初の出会いである。
4 ポストゲノム時代の「癌学」への視座 ―過渡期の指導原理と新時代の形成カを求めて―
アメリカを発信源とする「IT革命」、「グローバル化」は今や世界の大きな潮流である。我々、「癌病理学者」にとっては、まさに「ペリーの黒船到来」的混乱の様相である。昔(かって)問題であったことは今でも問題であるのである。時代は繰り返すとは良くいったものである。故に、我々は 歴史に、先達に謙虚に学ばねばならない理由がある。我々、「癌病理学」は先端科学から見れば今や「一周遅れである」と残念ながら認識しなければならない。これが厳しい現実である。しかし、逆に真の「日本発信」を可能にするには、「一周遅れの先頭の責務」に徹する所にあるものと強く考える。その様な観点から2001年春には「21世紀のブレークスルーを求めて―1周遅れの先頭の責務―」と いうユニークな公開シンポが東大農学部で企画されている。現在、日本ではあらゆる局面でアメリカへの適応に流れ日本発信を欠いているという指摘がある一方で、日本を除いた他のアジア各国からの世界への熱きメッセージを感ずるのは私一人ではないであろう。「科学に祖国はないとしても科学者は一つの祖国をもたなければならない」(パスツール)の言葉が思い出される。吉田富三博士は、「人間はいま、未来に媚びを売っている。そこには、無意識の現実逃避の心が底にある」、「科学者とか、文学者とか、政治家という区分けは方便であり、ただのプロセスで、人間最後には一つの同じ目標に向かって進まねばならぬ」と大胆に語っている。また、吉田富三博士は、癌の「個性と多様性」を説き、かつ 「癌細胞には性格が不変なものと変わってしまうものがある」、「癌細胞に共通な、あるいは最も本質的な特徴を見出すことが大切である」とも述べている。さらに「癌細胞と正常細胞の間は、継続的であるとも言える。(1)最初は、正常細胞の変化したものとして正常との比較においてこれをみる。(2)次は各種の癌細胞同士を比較する。ここに其の癌の理解の道があると思う」と語っている。現在の大きな流れであるDNAチップを用いた癌研究の先取りをHE染色と、顕微鏡と動物実験から見事にかん破している。まさに「具眼の士」(A seeing eye)である。我々は最近、吉田富三博士の精神に学び、実際全く新規な遺伝子「Nibon」を発見した(Jpn.J.Canor.Res 91‥869|874,2000)。さらに日本で見つかった新規の遺伝性腎癌ラットを「Nihon Rat」と命名した(Jpn.J.Canor.Res 91‥1096|1099 2000)。歴史に目を向けることの大切さを痛感する。「Recognizing the past・・ looking forward to the future」である。このように、吉田富 三博士は、「癌病理学者」であるとともに「癌学の理念、人生観をわかりやすく語る思想家」でもあったと考える。まさに「あらゆる国民に、その国語で語る預言者を与えられた」である。そして最終的には、人間は「癌細胞と共存」するしかないと先見している。発癌研究の目的は、「癌の原因論」を明確にし、「癌の制御」の根拠を示し「癌の進展阻止」の実際を示すものであると考える。癌研究の目標は「ある年齢以前の病死をなくす」ことである。
5 おわりに ―癌哲学を求めて―
私は、自信作は最初には日本癌学会の機関誌であるJpn.J.Canor.Resに出来るだけ投稿するように努めている。Nature,Cell,Scienceなどとimpact factorを競い、一喜一憂している最近の風潮に対するささやかな抵抗あるいはやせがまんと気概を示す為である。「生きた魚は水流に逆いて泳ぎ、死せる魚は水流とともに流れる」でありいたいものである。本来、「学問の評価は自分ですべき」ものであると思っている。もちろん、最終的には自からの質を高める為にEker rat研究で示した様に投稿 雑誌をgrade upする(Jpn.J.Canor.Res.84・・1106|1109,1993→Nature Genetics 9・・70|75,1995)。
「日本の土壌の上に立つ」研究を展開したいものである。まさに「自分のオリジナルで流行を作れ」 (中原和郎博士の尺取虫運動)である。私は「科学としての癌学」を学びながら「癌学に哲学的な考え方をとり入れてゆく領域がある」との立場に立ち、「癌哲学」を深め「吉田富三博士」の学問をじっくりと学び、自分の個性にみあう「癌哲学 ― 一生の業」を求めていきたいものである。これこそ、21世紀に向かっての癌病理学者の真の「社会貢献」(public policy)のあるべき姿が展望されるものと考える。