吉田冨三記念館だよりNo.7号 -007/016page

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61番目のアミノ酸のどれかが正常な場合と違うアミノ酸に変わってしまったrasたんばく質では、このGTPをGDPに変える酵素の働きが極端に弱くなり、いつまでもGTPを結合した活性型で存在してしまいます。その結果、外からのシグナルが来なくても、いつも細胞増殖のためのシグナルを出し続けることになってしまいます。これががん遺伝子となってしまったras遺伝子のコントロールの効かない細胞増殖をもたらすメカニズムです。
 p53遺伝子の場合、がんで観察される代表的な異常は、二個の遺伝子のうちの一個がなくなり、残る一個の遺伝子に塩基配列変化が存在することです。まさに、二個の遺伝子の両方に異常があって初めて細胞のがん化につながるがん抑制遺伝子の性質を示しています。p53遺伝子で合成されるたんばく質は393個のアミノ酸を持っていますが、特定の位置のアミノ酸に変化のあったrasたんばく質の場合とは異なり、変異p53遺伝子で合成されるたんばく質はさまざまな位置でアミノ酸が変化していたり、無くなっていたりという異常を示します。細胞が放射線を浴びてDNAが切断されたり、発がん物質の結合や紫外線の照射でDNAに傷がついたときに、そのまま細胞の増殖を許してしまうと、変異遺伝子を持った細胞が沢山できてしまいます。ヒトの体の中では、このような細胞を作らないように、分裂する前で細胞の周期を止めて、DNAの傷の修復を行います。また、DNAが切断されてしまうなど直すことができないような大きな傷の時には、その細胞を殺してしまうことが行われます。細胞周期を止めてDNAの傷の修復をさせるか、それともその細胞を殺してしまうかを判断しているのがp53遺伝子です。DNAに傷がつくとp53遺伝子から沢山のp53たんばく質が合成されるようになります。p53たんばく質はDNAに結合する機能をもっていて、細胞周期を停止させるために必要な遺伝子や、細胞を殺すために必要な遺伝子の領域に結合して、これらの遺伝子からのたんばく質合成を導き出します。ところが二個ある遺伝子の一方がなくなってしまい、もう一方が変異遺伝子になった場合、合成されてくるのは変異p53たんばく質だけになります。しかも、この変異たんばく質はDNAへの結合能力を失っています。したがって、DNAに傷を持った細胞を抑えることができなくなり、常に細胞を増殖の方向に持っていってしまうことになるのです。これがp53遺伝子の異常が細胞がん化に関与するメカニズムです。

おわりに

 代表的ながん遺伝子、がん抑制遺伝子のがんへのかかわり方を紹介しましたが、がん遺伝子、がん抑制遺伝子になることのできる遺伝子は数百個はあると考えられます。まだ、いくつの変異遺伝子が蓄積したら悪性のがんに至るのかその数は定かではありません。細胞によって、また、遺伝子によって様々であると考えられます。がんをDNAのレベルで説明したいというのが望んでいるところです。しかし、最も頻度高く検出されるp53遺伝子の異常でも肺がんの場合50%であって、残る50%のがんではどの様な遺伝子がp53遺伝子異常の果たした役割を担っていたのか簡単にはわかりません。肺がんには、肺小細胞がん、肺非小細胞がんがあり、さらに肺非小細胞がんは扁平上皮がん、腺がん、大細胞がんの組織型にわけられます。ところが、肺がんでしかもその組織型も同じがんであっても、患者さんによって見いだされる異常を示す遺伝子の種類、組み合わせはさまざまです。中には可能性のありそうな遺伝子を片っ端から調べても異常の見つからないがんまであります。このことは、同じ組織型であっても患者さんでそれぞれに違いがある、がんには多様性がある、個性があるということにつながっていると考えられます。したがって、患者さんそれぞれのがんを正確に理解し、個性に応じた対策をとるためには、がんに蓄積している遺伝子異常を全て把握することが重要です。DNAレベルでの異常を知ってがんを説明したいわけですが、一人の患者さんのがんに蓄積している異常を網羅的にいえといわれると、ゲノムの塩基配列 のほとんどが決まった現在でもまだ答えを出すことが出来ません。特定の遺伝子を指定されその異常をいえと質問されればすぐに答えをだすことができますが、どの遺伝子だかわからないが異常な遺伝子を全て見つけろといわれると、それはまだ不可能であり、何かうまい技術方法を考え出す必要があります。がんにかかわる基本的な二種類の遺伝子だけを紹介いたしましたが、まだまださまざまなかかわり方をする変異遺伝子があります。また、体質としてのがんになりやすさであるとか、抗がん剤の効きやすさや、副作用のちがいなどに関連する正常遺伝子における違いもあります。がんを克服するために必要なDNAレベルでの理解には更なる努力が必要なのです。


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