ふくしま海洋科学館学習指導の手引き -046/097page
No.4 潮目の海の文化
(1)縄文人の知恵
約1万2千年前から紀元前300 年頃までの約1万年間を縄文時代 と呼びます。その間、気候の温暖 化が海面上昇、小型の動物の増加 をもたらし、人々による狩猟方法 も変化しました。
福島県台岸には、当時の生活を 物語る貝塚が多数分布し、そこか らさまざまな生物の遺物が発見さ れました。文化展示コーナーで紹介 しているいわき市大畑貝塚からは、 アサリ、アワビ等の貝類、マタイ 等の沿岸の魚、サメ、カツオのよ うな外洋の魚、そして岸近くに入 り込んだと思われるクジラの骨も 発見されています。また、多くの イノシシやシカの骨を加工した 骨角器(こつかくき)やさまざまな 土器も発見されていることから、 沿岸では、∪字型の釣針や網を使った漁、そして貝の採集が行われ、 砂浜においては塩を製造していたと考えられています。
また、丸木舟を使い、離頭銛(りとうもり)と結合釣針によって 外洋のカツオやサメ、マグロのよ うな大型の魚も捕獲していたと思われます。縄文時代につくられた さまざまな漁具の形式は、ほぼ、現在のものと変わりがなく、素材 が骨か金属かの違いだけともいわれています。
(2)近世漁業の知恵
現在、小名浜港を中心とする 福島県南部の漁場ではサケ・マス の遠洋漁業や遠洋から近海にかけ てのサンマ棒受網、i台岸の底曳網、 小型漁船による漁などが行われて います。また、中、北部海岸にお いてはサケ定置網、底曳網、刺し 網などの沿岸漁業が主体となっています。
もともと、福島県では地形的に 大きな漁港が発達せず、江戸時代 まで、主に沿岸の村々では伝馬船 と呼ばれる1〜2人乗りの船での 漁が行われていました。江戸時代 中期から幕末にかけて、イワシの地引き網等の網漁、鰹の一本釣漁 も普及し、その漁業技術の知恵は、 現代漁業の基礎にもなっています。
また、イワシは千鰯(ほしか)などに加工され、綿花等、畑作の肥料となり、江戸時代の農業の発展にも大きく貢献しました。