ふくしま海洋科学館学習指導の手引き -047/097page

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 福島県の東側には、薬166Kmの長い海岸線が見られ、その沖には、黒潮と 親潮が出会う「潮目の海」があります。 この文化展示のコーナーではその海に関連した縄文時代からの漁業の歴史、沿岸にすむ人々の生活の知恵や習わしを紹介しています

(3)ふくしまの漁民信仰

 「板子一枚、下は地獄」という言葉が示すように、海で働く漁師 の仕事には危険が伴います。ゆえ に船の安全と大漁を願う気持ちも 強く、育先、海に御輿を担ぎ入れ る「浜下り」、大漁と船の安全を 祈願した絵馬の奉納、海の神であ る「アンバ様」などさまざまな信仰 が見られます。若い漁師たちは、 この「アンパ様」を休日の要求にも 使いました。大漁が続き休みがと れない場合、夜、密かに若い漁師 たちが井形に組んだ櫓の上に神社 から運び出した示司を載せ、浜に 簡易の「アンバ様」のお宮をつくり ました。それが浜にまつられると 次の日の漁が休みとされ、それを 破って漁に出ると災難にあうとさ れていました。

 また、神社ばかりではなく、 船大工によって新船を進水させる 前日、密かに船の中心部に守護神 であるフナダマサマ(船霊様)を 安置するという儀礼も行われ、 現在の船にもこの習わしは受け継 がれています。

画像 ▲浜下り
▲浜下り

画像 ▲フナダマサマ
▲フナダマサマ

(5)海の文化の伝播

 漁師たちはかつては定住せず、 海を広く移動しながら、進んだ 漁法・技術を各地に伝えました。 江戸時代初期、紀州の漁師たちは 漁を営みながら各地へと進出し、 北は、黒潮に乗って房州へ、さら に東北各地へと移住しました。紀州 や房州で育まれた漁法・技術は、 いわき地方へも伝わり、カツオの 一本約漁、イワシの地引き網漁、 捕鯨、そして製塩の方法等ととも にさまざまな文化も伝わりました。 現在でも福島県浜通り地方の沿岸 には、千葉県や宮城県の大きな 港町に親戚縁者を持つ家があり、 海を通した人の移入移出があった ことを示しています。また、大漁 祝いの晴れ着である「万祝」を船主 から乗組員に贈る習わしは、千葉 県の銚子市周辺から発生し、江戸 時代末期からイワシの地引き網漁 とともに静岡県から青森県八戸 地方までの福島県を含む太平洋沿岸岸に広がり、昭和20年頃までそ の習わしがありました。

画像 ▲万祝(マイワイ)
▲万祝(マイワイ)

※紀州=三重県、和歌山県の紀伊半島周辺

※房州=千葉県

(4)水産物利用の知恵

 人は海からの恵みを食料として さまざまな形で利用してきました。

 海水から塩を製造することもその 1つで、縄文時代には土器を使っ て海水を煮つめる土器製塩という 方法で塩を作っていました。江戸 時代初期、相馬地方では入浜式の 技法が、いわき・双葉地方では、 揚浜式による製塩が行われ、塩の 専売制度がしかれる明治38年まで、 各地でその土地にあった製塩か行 われていました。

 また、福島県においては、黒潮 に乗って回遊するカツオを利用し、 数多くの工程・期間を費やして 製造する鰹節、雑魚を利用し、蒲 鉾やちくわなどに加工する練製品 が明治時代頃より有名で、現在に おいても板付きの蒲鉾の出荷額は 日本有数になっています。

画像 ▲鰹節製造(大正時代)
▲鰹節製造(大正時代)


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